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M:i-2
監督:ジョン・ウー
2000年7月20日(新宿プラザ)

 公務員の質の低下



 アクション・シーンに於ける技法としての「スローモーション」と言えば、大抵の映画好きは先ずサム・ペキンパー監督を想起するに違いありません。具体例を論う必要など何処にもなく、殆どすべての作品に於いてその技法が駆使されていると言っても間違いはないでしょう。しかし、かと言って、彼は闇雲にスローモーションを活用しているかと言えば、決してそうではなく、あるいは、単に私の個人的な印象の問題に過ぎないのかも知れませんが、彼のその使用法には一定の規則が、まあ、悪く言えば「ワンパターン」ということにもなるのですが、何かそんなものがあるようにも思われます。そもそもカメラの速回し撮影、即ち「スローモーション」という特殊効果は、それほど非日常的なものでもなくて、あらゆる視覚作用がそうであるように、その作用を司る脳髄の都合によっては、日常的なある種の場面に於いて唐突に体験させられたりもするものです。あるいは動体視力の個人差ということまで考えれば、毎秒24コマという映画フィルムのそれが誰の目にも印象として等しい速度で流れているかどうかすら怪しいところ、毎日のようにパチスロのリールを睨んでいる人の目には、オスカー俳優の迫真の演技も、随分とぎこちないものに映っているのかも知れません。それはともかくとして、ペキンパー監督のスローモーションの話、彼の場合、例えば二人の人間が拳銃で撃ち合っている場面があったとして、何処でその技法が用いられるかと言えば、大抵の場合、どちらか一方が撃たれた場面、派手に吹っ飛ばされたり、ヘタヘタと崩れ落ちたり、そこで決まってスローモーションになります。それはつまり「死んで往く人間」をゆっくりと見せているということ、「叙情的」とでも言えば聞こえは良いのですが、しかし、余り格好の良いものでもありません。あるいは随分と陰気な演出、場面が重くなることはあっても、軽妙な派手さがそこに付加されることは決してありません。そして、何よりも「死」が即ちその人間の「時間」を奪うものであるならば、その場面に於いて「時間」を操作するのもある種のリアリスム、「走馬燈のように」という比喩が正しいのならば、速回しされた意識を相対的に捉えたものは他でもない「スローモーション」、その演出を「必然」とまで言ってはさすがに言い過ぎの感もありますが、ペキンパー監督のそれに限って言えば、そんなふうにも考えています。
 他方、そう言ったこととは全く関係がなく、ただ単に場面を格好良く見せるためだけに用いられるスローモーションもあるわけで、例えば、クルリとスピンした二輪車に跨ったトム・クルーズが振り向き様にバンバンと拳銃をブッ放す場面とか、誰の視点に於いても決して「必然」などではあり得ない、そこに「非日常」を捏造するためだけに用いられているものと言っても間違いはありません。勿論、今時そのような「演出」など珍しくもありませんし、物語すらそれらアクション場面に従属しているに過ぎないノー天気娯楽映画がそんな「演出」に溢れているからといってケチを付けるような無粋でもありません。ただ、余りにもシツコ過ぎて、少し辟易したのは事実です。

 ジョン・ウー監督自身、「アクションを漫画のように捉えている」と発言しているのですが、確かに、彼のそれは漫画です。勿論、その「非現実性」を漫画と評しているのではなく、その「演出」がそう、感情表現の段に於いては決まって暑苦しい顔のクロースアップを用い、そこに(スローモーションの)鳩と燃え盛る炎をオーヴァーラップさせる、先ず以て想起するのは梶原一騎の漫画です。別にそれを悪いと言っているわけではありません、これは単なるノー天気娯楽映画なのですから。
 序でに、あらゆるアクションが「円」を描いていたというのも気になるところ、自動車やオートバイがクルクルとスピンし、トム・クルーズは敵に延髄蹴りを喰らわせます。何やら見えない中心軸にアクションが支配されているとでもいうべきか、ある意味では非常に安定感を覚えるのですが、しかし、そんなことで良いのでしょうか? また、気になったと言えば、随所にヒチコックの引用らしきが見られたのですが、アレは一体何の意味があるのでしょう?

 007シリーズの最近作がある意味では失敗作だったとも思うのは、そのシリーズに於ける「決まり事」から逸脱することに対して、監督が些か及び腰であったせいで、如何にも中途半端なものとなっていたからです。然るに、この作品に於いては、嘗てのテレビシリーズはおろか、ブライアン・デ・パルマ監督の前作からも大いに逸脱しているにも関わらず、監督及び関係者は及び腰になるどころか、何一つの躊躇いすらもなかったように感じられます。その意味ではこの作品は007のそれに比べて明らかに成功していると言えます。彼のフェルプス君が東西冷戦終結後に於けるスパイの存在意義に懊悩した挙句、あろうことか二重スパイに転落してしまったという前作にも驚かされましたが、もはやミッションの意味すら不明なこの作品に於いては、何かとの繋がりに於いて論じることなどやはり不可能、ラップにアレンジされながらもかろうじて生き残っているテーマ曲と「導火線」が何かを繋ぎ止めていると言えないこともないのでしょうが、今更そんなことに言及するのは無粋というものでしょう。しかし、前作に引き続き今回も結局はMIF内部のドタバタ劇(あ、繋がってましたね)、公務員の質の低下は如何ともし難いようです。

 このクソ暑い最中、劇場の外まで行列が出来ていたのには驚かされました。私はと言えば、予め指定席券を購入していたので、時間ギリギリに涼しい顔で入場、1200円の差額など、その身分を得るためだと思えば安いものです。劇場内は当然ながら超満員、祝日の午後ということもあるのでしょうが、それにしてもしかし、世の中というのはどうにも単純明快、分かり易過ぎるところがあるようです。分かり易い世の中に分かり易い映画、そんなことにグダグタと文句を並べる私もやはり分かり易い人間ということで、世の中はマルく収まっているのです。


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