Index

 
不貞の季節
監督:廣木隆一
2000年9月6日(テアトル新宿)

 駄目なものは駄目!



 小説家という他でもない「言語活動」の主体をスクリーンに映すのは意外と難しいのかも知れません。無造作に積み上げられ今にも崩れそうな書物、やはりそこに「文字」が並べられた掛け軸、床に散らばった書きかけの原稿用紙、単なる写真ならば、例えば林忠彦が撮した坂口安吾の有名なそれのように、そんな風景を捉えるだけで十分なのかも知れませんが、映画ではまだ何か物足りません。小説家が原稿用紙に向かって一心不乱にペンを走らせるという姿は、そんな風景の中に配置されていても、しかし、些かも映画的運動を予感させない、つまり、動きに乏しいのです。何かの理由で手先が多少不自由だった檀一雄が、時折細君に口述筆記をしてもらっていたのはよく知られた話、確か『火宅の人』にもそんな場面があったように記憶しています。小説家が散らかった部屋の中をウロウロと歩き回り、その口からは台詞を借りた言語活動が、傍らにはペンを走らせるもう一人別の人間がいる、そんな場面を捏造して漸く映画らしくなります。やはり小説家を主人公としたこの『不貞の季節』に於いても、小説家の言語活動はそのような場面を借りて至って映画的にそこに描かれています。檀一雄の場合は、彼自身の身体的事情によるところもあったのですが、しかし、必ずしもそうではないこの作品の場合は、まさに「映画的便宜」とでも呼ぶべきが、そんな場面を捏造させたと言えるのかも知れません。勿論、それは映画に於けるある種の必然、至極真当な「方法」とも言えるのでしょう。

 あるいは黄砂でも舞っているのかと疑ってしまう全体に「イエローフィルター」を介した映像それ自体を初めとして、とにかく、殆どすべてのカットに違和感を覚えてしまいました。例えば、物語の初めの方に出てくる「食卓」の場面。主人公とその細君が二人で食事をしながら軽い口喧嘩をする場面なのですが、ダラダラと「固定長回し」で撮られたその画面の構図が何とも気持ち悪いのです。主人公と細君がそれぞれ正方形のテーブルの隣り合った二辺に座り(つまり向かい合ってないということ)、それをその反対側の角を中心として左右対称となるように捉えられており、部屋全体もそれと同様に(部屋の一角が画面中央奥に縦線を描いています)なっています。この場合、そこに何よりも左右対称が意図されていたのならば、在り来たりとは言え、やはり向かい合わせて配置した方が違和感なく済んだのではないでしょうか。そうでもないのならば、それを捉える角度をもう少し緩やかに、部屋全体の狭さだけが強調され(その必要性は何処にもありません)、あるいはテーブルの角が此方に突き刺さるのではないかとも感じてしまい、観る方としては異様に窮屈なのです。そもそもそれを「固定長回し」で撮る必然性を先ず疑ってしまうわけで、(発言者のクロースアップを使うとか)普通にカット割りして、その中で時折その妙な構図が現れる程度ならば然したる違和感も覚えないはず、幾らSM小説家の物語とは言え、余りにもサディスティックです。
 その他の場面でもその「固定長回し」が比較的多用されているのですが、そこに何らの必然性も感じらず、それが本来そうである通り単に平板で単調なだけ、あるいは(撮影者の)単なる「怠惰」なのかとさえ疑ってしまいます。

 違和感に満ちたこの作品の中で、一つだけ良いところがあったとするならば、それは物語の終わり近く、主人公が玄関先まで細君を追い掛けて、受け取ってもらえなかった「原稿用紙の束」を力無く地面に落としてしまう場面です。私は地面に落ちたその「原稿用紙の束」がいつ風に飛ばされるのかと思いながら眺めていたのですが、しかし、それは終ぞ飛ばされることなく、まるで「汚物」か何かのように、地面に貼り付いて微動だにしないのです。随分と派手に風に舞った『ワンダー・ボーイズ』のそれとは大違い、確かに、他でもないその原稿がこの作品(の物語)を生むわけですから、それを飛ばしてしまっては酷い矛盾が生じてしまうとは言え、しかし、やはりある種の「映画的便宜」としてそれを派手に飛ばしたくなるのが人情というものです。地面に貼り付いて離れない「汚物」の如き言語活動、それに背を向けて去って往く細君の心情もそんなところでしょう。

 私の語彙をして「凡庸な映画」というのは珍しくないのですが、これはしかし「駄目な映画」であると、始まって3分くらいでそんなことを思いました。あるいは「勘違い」という表現も、勘違いの勘違いはやはり勘違いであると、つまりは他でもないこの私が「勘違い」をしているという可能性も否定できませんが。

 私としては珍しく平日に映画館へ。この作品が午後9時20分からのレイトショー上映だったからこそなのですが、もう少し早い時間に解放される職場ならば、同様の動作で仕事帰りは毎日のように劇場に足を運んでいるのかも知れません。
 この劇場では「第一」に限らず毎週水曜日は一律1000円、平日に訪れる機会などこの10年で殆どなかったこともあって、そんなシステムがあったことすら知りませんでした。前売券で来た客の一人が従業員と押問答、「差額を返せ!」と騒いでいた彼もそんなシステムを了解していなかったのでしょう。何れにせよ、その割引の影響もあってか、平日のレイトショー上映の割にはまあまあの入り、客席の半分は埋まっていました。
 尚、この同じ劇場で通常プログラムとして上映されている阪本順次監督の『顔』は、平日にも関わらず立見の出る盛況ぶり、やはり「良いものは良い、駄目なものは駄目」ということではないでしょうか。






    *御意見、御感想など。
    お名前(匿名可):

    メイルアドレス(省略可):

    コメント(御自由に):



Index