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ミュージック・オブ・ハート
監督:ウェス・クレイヴン
2000年9月16日(新宿ピカデリー1)

 小説は事実よりも老獪なり



 イギリスの詩人、バイロンの残した有名な言葉に「事実は小説よりも奇なり」というのがあります。この作品に於ける「カーネギーホール」などその好例と言えるのかも知れませんが、しかし「事実」がその特権に胡座をかいていたのでは、老獪な「小説=虚構」に足を掬われてしまうことにも、「事実」を語るにせよ、ある程度の努力は必要です。

 教育に関する物語というのは得てして「キレイ事」が並べられてしまうものです。程度の低いテレビドラマの類など特にそう、非現実的にもそれが実現されてしまうか、あるいはもう少し現実的にその「理想」に少しだけ近くことを以て大団円を、所詮は虚構に過ぎない物語とは言え、そもそもの「キレイ事」が阿房らし過ぎて、何となく片腹痛くもなってしまいます。尤も、「教育」という概念自体がそのような性質を有しているのもまた事実、人間をより高次な精神状況に導くのが「教育」というものなのでしょうから、物語に於いてなど特に、勢いその「目的」としての理想論のオンパレードになってしまうのも致し方ないところで、あるいはその「キレイ事」こそが物語を動作させる重要な要素と、そんなふうにも言えるのかも知れません。

 教育に関する物語でありながら、しかし、肝心のその「キレイ事」が欠落してしまうとどうなるか、『ミュージック・オブ・ハート』を観る限りに於いては、やはり物語からある種のダイナミズムが損なわれてしまうようです。前半と後半に明確に区切ることができるこの物語の前半部分、生徒の成長があくまでもバイオリンの上達に付随したその「音」の変化によってのみ観客に知らされるというおよそ映画的とは言い難い状況も、ある意味仕方のないことなのかも知れません。教師は専ら「生活」を切り抜けるためにのみ教育という労働を、バイオリンを習得すること、あるいは音楽を学ぶことが結果として生むのであろう効果、つまりは情操教育としての意味を語る余裕すら持たないのですから、そこに映画として示されるべきもやはり単に技術面での上達、即ち「音」のみとなってしまうのです。舞台はハーレムの学校、「キレイ事」を網羅するには恰好の舞台装置のはずなのですが、敢えてそれを回避したのは、これがそもそも教育ドラマではないのか、あるいは物語構造に何らか欠陥があるのか、その何れかではないでしょうか。

 唐突に訪れる「10年後」、物語が後半部分に突入するとその状況が少し変わってきます。物語が漸く「目的」を獲得し、その「目的」に向かって動き始めるのです。しかしそれでもまだ「キレイ事」は現れません。確かに、何人かの生徒の生活とその変化を捉えることによって、そこに「技術の上達」以外の何らかが現れていることが我々に知らされはするものの、しかし、それは物語全体にどれほどの影響を及ぼすものでもありません。語られているのはおよそ「政治的」な闘争のみ、例えば、コンサート会場に関するトラブルが生じて以後、コンサート当日までの間に語られるのは専らその話題ばかりで、そのトラブルが生じる以前に問題の中心であったはずの(そのコンサートに向けての)生徒の技術向上、鞭撻の物語がまるで忘れられてしまうことなど、それを如実に示していると言えます。

 音楽、あるいはそれを介して他者との交流を深めることの素晴らしさ、カーネギーホールに於ける「万雷の拍手」が意味するものはおそらくはそんなことのはず、従って、この物語はそれを一つの「理想」として掲げた歴とした教育ドラマなのです。それにも関わらず、そこに至るまでの、およそ教師個人の物語であるかのような迷走ぶりは、やはりそれが実話に基づくというある種の「ハンディキャップ」を負っているからなのかも知れません。実話であるからこそ、そこに「キレイ事」を並べる必要もなく、ただ事実のママにそれを、そもそも物語を何らかの作用によって「動かす」必要がないのですから、目的として掲げるべきを捏造する必要もまたないのです。結果として如何にも不出来な物語が生まれてしまったのは、現実主義的な「ストイシズム」と言うより、やはり「事実」に胡座をかいた怠慢と、もし、あの「万雷の拍手」が単に教師の「努力」を称えたものであるのならば、この物語は既に「語るべき」を全うし得ているとも言えるのかも知れませんが、しかし、決してそうではなく、それ以上の意味をそこに与えているつもりならば、そこに至る過程に於いて等閑にされたものが余りにも多い、「事実」に支払った代償は決して小さくなかったということのようにも思われます。

 本来「指定席」であるはずの場所が「一般席」に振り替えられていました。それは大抵の場合「客足の鈍さ」を意味する措置なのですが、その割には1000席以上もある大劇場が9割方埋まっているという些か矛盾した状況、この三連休が雨に祟られた影響が良い方に出たということなのかも知れません。開場前の行列もそれほどでもなく、そのお陰もあって、私は本来「指定席」であるはずの「一般席」に座ることができたのですが、劇場が暗くなる頃には何故かザワザワとほぼ満席状態に、よく分からない現象でした。


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