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オルフェ
監督:カルロス・ヂエギス
2000年10月22日(シネマライズ1)

 安定をもたらす不均衡



 監督が強弁するように、この映画は確かにより「ブラジル的」なのかも知れません。勿論、マルセル・カミュ監督による『黒いオルフェ』との比較の話です。しかし、フラジルともフランスとも文化を異にする我々にしてみれば、それが「ブラジル的」であることなど然して重要でもなく、例えば、其処にブラジル貧民層の現実が精確に描かれているにしても、しかし、我々にとってそれは単なる「情報」に過ぎず、また、そもそもがギリシャ神話に材を得た物語、其処で語られるべきが(国境を越えて)「普遍的」な何らかであるのならば、少なくとも、それを語る上でのディテールが単なる「情報」に過ぎない我々にとっては、やはりどれほどの意味があるとも思えません。勿論、「映画は如何にあるべきか」という話ではなく、あくまでも『オルフェ』と『黒いオルフェ』を比較評価する場合に重要視すべき事柄の話、つまり、原作戯曲により忠実でより「ブラジル的」でもあるからと言って、取り立てて前者が後者より優れているとする理由にはならないということです。ブラジル人の国民性やブラジルの現実にどれほども興味のない私にしてみれば、純粋に映画作品としての比較から『黒いオルフェ』の方が余程面白かったと、要はそれが書きたかっただけなのです。

 この映画に於いて特徴的なのは、対峙する人間同士の「位置」です。例えば、物語の冒頭、オルフェが子供達にギターを弾いてみせる場面、あるいはオルフェとミラが対峙する物語のクライマックス、何れの場合も両者の位置には物理的な意味に於ける「上下」が存在しています。勿論、その関係が成立しているのはそれらの場面だけではなく、この物語に於ける殆どすべての場面が実はそうで、従って、カメラの視線も仰角あるいは俯角が殆ど、当然のことです。その理由の一つは単に地形的なもの、この映画の殆どが「丘」を舞台としており、斜面に二人の人間を配置すればとうしても上下が、カメラにしても被写体と水平な位置を確保するのは物理的に困難、俯角、仰角が多くなるのも道理です。しかしその地理的条件が絶対というわけでは決してなく、些か安定感に欠けるとは言え、斜面に於いても並べ方によってはカメラを含めた全員がほぼ水平な位置を確保できるのなど子供にでも分かること、また、スクリーン上では一箇所であるかのように見えるスラムも、実際には複数のスラムでロケーションが行われ、場面によってはセット撮影も行われているらしいことからしても、そもそもの地理的条件など簡単に克服できたはず、つまり、およそ意図的に仰角、俯角が多用され、人物の配置にしても、予めその「上下」が意図されていたと理解すべきなのです。
 それはどれほども難しいことではなく、極単純な、人間関係一般に於ける比喩としても用いられる「上下」にそのまま置き換えてしまえば良いだけの話、あるいは「支配する側とされる側」のような関係としても説明がつきます。既に例示した二つの場面など象徴的ですし、また、舞台となる「丘」を支配するルシーニョ一味のアジトがその丘の一番高い場所にある(この映画が些か不出来なのは、その丘に於けるそれぞれの住居等の位置関係が今一つ不明瞭なことです)ことなどもそう、オルフェとユリディスの関係が決定的となる以前、逃げるユリディスをオルフェは下から上へ追い掛けていくのですが、それもやはりその段階に於ける二人の関係を象徴的に示していると言えます。そして、その関係の構図に於いて特筆すべきは、警察隊がその地理的条件の必然として常に「仰角」を強いられてしまうこと、つまり、その時点で彼らの敗北は既に決定的なのであり、それは映画的に意図された「皮肉」以外の何ものでもありません。
 但し、例外的にその上下関係が無効となる場面が幾つかあって、それは即ち丘の頂上付近と思われる「平地」での場面、物語的に重要な出来事の殆どが其処で起こるのも決して偶然ではないはずです。オルフェとルシーニョ、ルシーニョとユリディス、それらの関係に於いては「上下」など存在せず、あるいは、むしろそれが無効であるからこそ、物語的に些か不条理な「事件」もまた起こり得てしまうのです。此処に於いて状況の均衡を乱すのは「上下」が無効となった対等な関係性に於いて、不均衡がむしろ状況の安定をもたらすというパラドクスは、ブラジルはおろか、世の中のあらゆる「現実」をも示唆していると言えるのかも知れません。
 何れにせよ、此処に於いてその上下あるいは支配関係の根幹を為すのは、言うまでもなく(コルコバードの丘の)キリスト像の俯角であり、物語冒頭の空撮による俯瞰は、間違いなくその視線を暗示するものです。また、件の「平地」の場面にすら時折現れる俯角もやはり紛れもないキリスト像のそれ、その意味に於いて、否、当たり前の話として、この映画は至ってキリスト教的であり、其処で語られる「普遍性」の帰属すべきも決して曖昧な「何か」などではないのでしょう。

 物語の導入部、ユリディスを乗せた飛行機が満月を横切る印象的な場面は、やはりルイス・ブニュエルが用いた有名なメタファーの引用なのでしょうか?

 日曜日の午後に観ましたが、ガラガラでした。公開から既に何週間も経っているからでしょうか? ブラジル映画と言えば『セントラル・ステーション』がそこそこ成功したようですが、日本に於ける認知度はまだまだということなのかも知れません。


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