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ホワット・ライズ・ビニース
監督:ロバート・ゼメキス
2001年1月2日(新宿プラザ)

 壮大なるマクガフィン



 もう百年も前のこと、当時まだ新しい撮影技法であった「クロースアップ」をスクリーンで初めて目撃した観客達が、其処に「巨人の手」あるいは「バラバラ死体」を発見して劇場を逃げ出したというのは嘘のような本当の話です。クロースアップに限らず、今では当たり前とされる様々な撮影技法も、それを「発明」した叡智が存在し、「経験」がその意味を深めていったという事実を其処に知ることができます。

 映画に於ける「クロースアップ」の技法は、其処に大写しにされた人間の表情の詳細を伝達あるいは強調するためだけにあるのではありません。何よりもカメラが意図的にその視界を狭めるという動作が、同時に視界を狭められてしまう観客にある種の心理的効果をもたらすのは指摘するまでもないことで、実際、多くの映画で当たり前のようにその効果が試されています。例えば、アルフレッド・ヒチコック監督の『裏窓』という映画、物語のクライマック直前、主人公が友人の警部と電話をする場面があるのですが、其処では受話器を握る主人公が終始クロースアップで捉えられています。観客がその場面を実際以上に長く感じ、観ているうちに段々と不安になってくるのは、その狭められた視界の外で起こりつつある事態を(ある程度予感しているにも関わらず)隠されているからであり、また、その意図的に狭められた視界が示唆する主人公の無自覚をもまた了解するからに他なりません。つまり、其処に於いては、対象をクロースアップで捉えることによって、観客の視界から(その視界の外で進行している)事態を隠すと同時に、その対象の意識の「狭さ」をもまた示唆していると言えるのです。観客の視界から重要な何かを「隠す」のがサスペンスの基本、クロースアップという物理的な「視界操作」がその一端を担うのは当然と言えば当然のことです。

 その『裏窓』がかなり露骨に引用されたこの映画に於いても、やはりクロースアップがその効果を発揮しています。しかし、ヒチコックのそれと比べて如何にもお粗末なのは、それが人間心理の虚を衝く実に浅ましい遣り方である故、要は単なる「虚仮威し」なのです。クロースアップによって視界を狭められた観客が、その視界の外から突然現れたものに驚くのは当然のことで、そんな質の悪い「子供騙し」が執拗に繰り返されるのです。勿論、観客は同時に「予感」をも持ち得ていますから、単に驚かされるのではなく、心理的不安をもまた体験するのですが、しかし、その「予感」は物語が巧妙に配置する類(ヒチコックのそれのように)では決してなく、俗に言う「お約束」にも似たもの、同じ遣り口が何度も繰り返されていることもあって、観客が「さあ、来るぞ」と身構えているに過ぎないのです。ミシェル・ファイファーが矢鱈と何かを踏み付けたりするのも実はクロースアップの所為、クロースアップが対象の意識の狭さを示唆すると言うより、むしろクロースアップの所為で対象の注意が散漫になっているかのようにさえ見えてしまうのは、その技法が殆ど「押し付け」にも等しいものだからです。「技法を凝らす」とは言っても、それが独り歩きしているようでは些か見苦しくも、貴重な財産が浪費されています。

 そもそも「クロースアップ」のサスペンス的な意味(程度)を論じるに於いて、わざわざヒチコックの名前を出す必要など何処にもなくて、この映画がヒチコックとの関係に於いて語られるのも、その理由はまた別のところにあります。端的に言えば、其処に有名なヒチコック作品がベタベタに引用されているから、あるいは、この映画の監督が事あるごとにヒチコックの名前を出しているからに他なりません。誰が観ても分かる『裏窓』『サイコ』『レベッカ』の(物語的な)引用、『サイコ』に至ってはバーナード・ハーマンの音楽や主人公の役名まで「盗用」しています。確かに、俯瞰ショットの使い方や舞台となる屋敷の捉え方に「映画的記憶」を喚起させるものがあるとは言え、しかし、その程度のことでこの映画がヒチコックとの間に特別な関係を築いているかのように謳われる(監督自身が堂々謳っているのですから余計に質が悪い)のは、おそよ悪質な宣伝活動であるとしか言い様がありません。この映画が何らかヒチコック的であるとするならば、それはこの物語の大半がそうであると言える壮大な「マクガフィン」こそが、監督の「熱心さ」が知れようというものです。

 正月2日の午後、劇場は大混雑でした。公開から既に何週か経っているこの映画が興行的に成功しているのかどうかは知りませんが、やはりこの時期を跨ぐ映画と言うのは幾らか得をする部分もあるようにも思われます。尤も、日本映画に関して言えば、大抵の映画賞が何故か年末年始の行事にもなっていることから、この時期の公開はむしろ損であるとも言われています。有象無象映画賞に注目されないことが果たして「損」なのかどうかは分からないところですが。
 予告編の途中から入場したこともあってよくは見ていないのですが、晴れ着姿の女性もチラホラと散見されました。初詣の帰りにこんな映画を観るという感覚もよく分かりませんが、しかし、何であれ映画館が賑わっていることが悪かろうはずもありません。


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