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小人の饗宴
監督:ヴェルナー・ヘルツォーク
2001年1月21日(BOX東中野)

 小人大挙して不善を為す



 馬券で負けたからといって、途端に動物愛護を訴えるのなど実に莫迦げた話、この映画を観てクスリとも嗤わない観客は、一体何を求めて其処にいるのでしょう?

 此処に在る「異化の装置」が殆ど完璧にその機能を果たし得るのは、其処に感情移入の余地がまるで存在しない故、勿論、侏儒が映画館に足を運ぶことまでは、流石の私も想定していません。もし仮に、其処に常人の存在があったならば、例えば、フェリーニの映画に登場するそれを何となく憐れに、あるいはリンチのそれを不気味に感じるように、常人との関係性を測り、その視座を得ることによって、途端に感情移入の余地が生まれてしまうのですが、しかし、此処に於いては、実際、彼らの身の丈のほどを正しく知るのが困難であるのと同じ理由から、あくまでもスクリーンと対座する人間が持ち込む「日常」との関係性に於いて「異化」されるに過ぎません。そして、およそ二つの「配慮」が、観客がそれに「慣れる」ことをすら拒否している、つまり、彼らが侏儒であることを迂闊にも忘れてしまわないよう周到に仕組まれているのです。一つには、其処が「侏儒の世界」であるにも関わらず、彼ら以外の「物」がすべて常人のそれであるということ、地面に足の届かない(動いているのすら不思議な)自動二輪車、事に及ぶどころか上がることさえできないベッド等々、その滑稽(あるいは醜怪)な様は、彼らが我々とはまるで別の生物であることを改めて教えることになります。そして、もう一つのそれは、彼らを捉えるカメラのスタンス、その殆どが常人の視点を意識させる「俯角」で捉えられており、例えば、手持ちカメラが常人の目の高さで被写体に接近し、顔のアップになったところで漸く彼らの目線に合わせる(つまり、カメラマンが「しゃがむ」わけです)というこの映画の中に何度も現れるカメラワークなど明らかに意図的です。

 此処に漂う虚無感は、観客が常に「宴の終わり」を予感しながらスクリーンと対座していることと決して無関係ではありません。此処に於ける、予めその「失敗」を観客に知らせるという確信犯的な説話構成は、我々の所在を予め「宴のあと」に置き、彼らの華やかな饗宴を「既知」への虚しい不可逆運動として差し出しているのです。従って、彼らのそれが如何にエスカレートしようとも、否、むしろそれが加速度を増すほどにも、我々は其処に虚しさを発見することになります。それは、意味もなく円を描き続ける自動車が、それがスクリーンにある限り決して停止することがなくても、しかし、何れはガソリンが尽きて停止するであろうことを誰しもが容易に予感し得るのと同じ、その虚無感もやはり観客を「異化」します。

 さて、斯く発揮された「異化効果」が、其処に叙する「事」など然して難解でもなく、その表層即ち「異化の装置」がそうであるほど特異なものでもありません。むしろ、その表層の特異さが、本来単純明瞭であるはずの「事」を些か不明瞭にしているとも、あるいは、それがどれほどの真剣さを以て為されているのかさえ疑わしくなります。つまり、此処に在るそれが「小人の饗宴」であることをどれほども逸脱していない、「異化効果」という意味に於いては完璧無比とも言えるその装置が、しかし、実は何の機能をも期待されず、ただ「鑑賞」されるためだけに存在している、むしろ其処に叙すべき「事」があるかのように装っているに過ぎないのではないかと、もし仮にそうだとするならば、これは当に見世物小屋、極めつけの悪趣味です。尤も、私はそれを愉しむやはり悪趣味な人間、其処に在るあらゆるイメージ、あらゆる「運動」が、その(在るのかも知れない)意味とはまるで無関係に「快楽の装置」としてその機能を果たしてもいます。私の目の前にあるのは「然るべき権力に抑圧される人間一般」あるいは「その本性に於いて醜悪極まりない人間一般」などではなく、地面に足も着かない自動二輪車を巧みに操る奇怪な侏儒と、嬉々として彼らにカメラを向ける変人の影です。

 弁解の余地があるとするならば、此処に在るのはあくまでも「見世物小屋」の悪趣味であり、現実の世の中がそうであるほどの悪趣味には決して陥っていないということ、絶望的な「暴力」はあくまでも鶏や豚、あるいは駱駝のそれを借りた暗喩として、また、二人の盲が互いに振り回す棒は、危なげながらも、しかし、永遠に相手に到達することはないのです。

 ヴェルナー・ヘルツォーク監督の特集上映の一環として上映された70年の作品、日本ではビデオ発売はされていますが(既に廃盤)、劇場での一般公開はこれが初めてのようです。日曜日の夕刻にしては殆ど満席に近い盛況ぶり、あるいは、こういう作品に駆け付けるような人種には曜日の感覚などそもそも存在しないのかも知れません。しかし、その割には、この映画を愉しんでいる人は案外少なかったようで、甚だ滑稽な場面でも館内は水を打ったような静けさ、しかつめらしくスクリーンを睨んでいる彼らの姿もまた滑稽でした。


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