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キング・イズ・アライヴ
監督:クリスチャン・レヴリング
2001年3月20日(シネマライズ1)

 「物語」を発見する物語



 有り体に言えば、「ドグマ95」というのは「現実主義」への回帰を模索する運動、あるいは、制作者の立場ならば「自然主義」という言い方もできるのかも知れません。昨今のハリウッド映画など観るに、幾ら「娯楽」とは言え、余りにも莫迦げたものが多過ぎるようにも思われますから、すべての映画がそうなるのもどうかと思いますが、「映画の一つの在り方」としてその可能性をアピールする姿勢には好感を覚えます。しかし、具体的にそれに準拠した、もしくはそれに類した作品を観るに、そもそもの規約が専ら「撮影手法」に対する「縛り」である所為か、其処に捉えられた対象の「現実感」や「自然さ」より、むしろ「ドグマ95」という新たな「映画的人為」を発見してしまうことにも、要は其処に強いられた不自由な制約が却って撮影手法の類を際立たせてしまうという本末転倒に陥っているのです。当たり前の話として、先ずは「何を撮るか」という意志があるべきで、「如何に撮るか」即ち撮影手法の類などは、あくまでもその結果として「発見」されるもの、後者が目的化しているような映画は極めて退屈で、「ドグマ95」もその危険性を大いに孕んでいるということです。カサヴェテスやヌーベルバーグの一連の映画作家が「自由」な立場から発見した何かを「教義」として崇める「不自由」など、やはり何処か莫迦げているような気がします。また、そもそも「映画」に於ける一番の「嘘」は、モンタージュ等が駆使される「編集」の場面にこそ、其処を等閑にして「人為の排除」などと喚くのも何となく滑稽な感じ、どうせなら「ワンシーン・ワンカット」も規約に加えてもらいたいところです。

 この映画は、しかし、「ドグマ95」に準拠した作品である割には、案外、ドグマ的な嫌らしさを感じることの少ない映画で、それは(ドグマの規約に則って)全編手持ちカメラによって撮影されてはいるものの、しかし、決して「疑似ドキュメンタリー」的には撮られていない故、意図的な手ぶれや急激なパンショットなど何処にもなく、一部イメージショット的な場面を除いて、編集も常識的です。あるいは、手持ちカメラの利点を十分に活かしていないとも言えるのかも知れませんが、しかし、「手持ちカメラ=ドキュメンタリー風」という発想は余りにも単純、『勝手にしやがれ』をドキュメンタリー風と評する人など何処にもいませんし、そもそもドキュメンタリーを装うなど、それこそ映画的「不誠実」の極み、「ドグマ95」の胡散臭いところです。その意味に於いて、この映画は決して「嘘の上塗り」に陥ることなく、むしろ「誠実」であるとさえ、映像に直接何かを反映させるというより、そのフットワークの軽さ等々、撮影時に於ける手持ちカメラの利点が活かされ、結果として「現場主義的」なダイナミズムをその映像にもたらすことに成功しています。

 言葉が単なる「記号」でないのは、例えば、ある言葉をどのように発話するかによってそれを聴く人間に伝わる意味に微妙な差異が生じることにも明かです。舞台演劇の台詞を俳優が情感を込めて発するのと、素人が棒読みするのとでは、同じ台詞であっても、それを聴く人間は、その表層のみならず、意味のレベルに於いてさえ、まるで別のものであるかのように感じるはずです。舞台演劇の台詞は、当然ながら、素人に棒読みされることを前提としてあるわけではありませんから、それによって生じる意味もまた本来的なものとは異なってしまい、つまり、素人の棒読みを続ける限りに於いては、そもそも其処に「物語」すら成立しないということです。此処に於けるシェイクスピアの『リア王』も、素人の棒読みに晒されることによって、何一つの「物語」すら成立し得ない単なる「言葉」の連鎖として、むしろより「記号」に近いものとしてそれを聴く人間、即ち観客の耳に届くことになります。本来、絶望的な悲劇を構築するはずの言葉が、その意味をまるで全うし得ない記号群として観客の前に差し出される、つまり、此処に於いてはシェイクスピアによる演劇的な台詞が異化され、「物語=虚構」から乖離した言葉本来としての意味が晒されることになるのです。観客はそれによってスクリーン上の人物が置かれている悲劇的な状況に呼応する何かを発見することに、しかし、その台詞を本来的な言葉として認識するのは、あくまでも観客のレベルに於いて、それを発しているスクリーン上の人物達は、むしろ「言葉の不在」によってもたらされた不信や憎悪を募らせ、あるいは「社会性」が本来覆い隠していたものを其処に醜くも晒け出すことになります。此処に在るのは、自らによって異化された台詞によって自らの醜い状況を説明するという皮肉、あるいは、「コーディリアの死」という「現実」に直面して初めて「物語」を知るという皮肉です。

 公開から既に何週か経っている祭日の午後、観客は疎らでした。シネマライズという映画館には割と頻繁に足を運ぶのですが、しかし、いつ行ってみても二階席が利用できない状況、つまり、其処を開放する必要が生じるほどの客入りが予想されていないということです。あんな調子で採算は合うのでしょうか? 少し心配になります。


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