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ハンニバル
監督:リドリー・スコット
2001年3月31日(新宿ミラノ座)

 貴女の髪に手が触れて



 この映画の前作にあたる『羊たちの沈黙』の中にこんな場面がありました。物語のクライマックス、クラリスとシリアルキラーの暗闇での格闘、暗視鏡を装着して明らかに有利なはずのシリアルキラーは、しかし、結局、クラリスを殺すどころか、指一本触れることなくクラリスの銃弾に倒れることになります。そして、その直後に続くのは事件の解決を祝してクラリスと彼女の上司が固く握手を交わす場面、私の記憶に間違いがなければ、その場面はその「握手」をアップで捉えたカットから始まります。この一連の場面が、この映画の核心を見事に示唆しているのは、この映画が、クラリスに触れることが出来る人間と出来ない人間、あるいはその物理的、精神的距離が分けるもの同士の対峙を其処に映している故、彼女に触れることが出来ないのはそのシリアルキラーだけではなく、ハンニバル・レクターもまた同様、鉄格子あるいは拘束衣が彼らの距離をある種象徴的に引き離しています。此処に於いて距離を隔てられた、対峙する両者の関係は案外分かり易く、例えば「正常/異常」あるいは「善/悪」のように、つまり、単純な犯罪映画のそれ、クラリスを中心に置いて、彼女に触れることの出来る人間と出来ない人間の攻防が其処に描かれているのです。この映画が、その後有象無象出現した同種の犯罪映画とは明らかに一線を画するものであるのは、対立する両者の間にこの繊細な構図が成立している故、其処に示された「距離」は切なくさえあります。

 結論から先に言えば、この『ハンニバル』という映画は、その『羊たちの沈黙』の正統な続編であると言えます。それは、前作にあったその「構図」が此処に於いて見事に踏襲されているからに他ならず、否、それがすべてと言っても過言ではありません。物語の前半、当時を振り返ったクラリスがハンニバル・レクターとの関係に言及して「礼儀が保たれた関係」(「礼儀」より「節度」の方が日本語として適当だと思いますが)と、これが即ち件の構図を指摘しているのは言うまでもないこと、この発言から既にこの映画が前作の核心的な部分を受け継いでいることを知ることが出来ます。そして、物語が進行するに従って、「手」と「触れる」という主題が少しずつ明らかに、物理的な距離を少しずつ狭めていくクラリスとレクターの恋愛のそれにも似た物語は言わずもがな、フィレンツェを舞台に展開するレクターと刑事の物語に於いても、「指紋採取」という物語状況を借りて「手」と「触れる」という主題が其処に重要な意味を持つことになります。レクターが慎重に手袋を着ける場面など実に象徴的です。

 この映画に於いてクラリスに「触れる」ことが出来るのは唯一人レクターだけ、その事実がこの映画を比較的単純な、例えば『羊たちの沈黙』のような犯罪映画から遠ざけているという話はさておくとして、他方、クラリスに決して「触れる」ことの出来ない人間に関して言えば、この物語に於いて重要な役割を持つメイスンという富豪、彼の場合、その立場は『羊たちの沈黙』に於けるレクターに似ており、彼は身体的な事情からやはりクラリスに触れることが出来ません。また、前作では固く握手を交わしたはずのFBIあるいは司法局の人間も、今回は彼女に触れることが出来ない立場に、物語的にはむしろ彼らの側が握手を拒絶することになります。この映画が、前作同様に此処に分けられた両者の対峙を映しているのは既述の通り、つまり、物語に還元されたそれはハンニバル・レクターとFBIあるいはメイスンの対峙を其処に映すことになります。また、此処に於いてもクラリスはやはり両者を色分けする触媒的な存在として、『羊たちの沈黙』にせよ『ハンニバル』にせよ、彼女との関係の距離を根拠とした対立の物語であり、その意味に於いてはこの映画は前作よりも随分と分かり易くもなっています。但し、ハンニバル・レクターが恰も「ヒーロー」であるかのようなそれは、前作のような単純な二元論に落ち着くものものでもありません。

 クラリスとハンニバル・レクターの物理的な距離が少しずつ近づいて往き、そして、レクターがクラリスに「触れる」という「回転木馬の場面」に於ける決定的な瞬間を境に物語は急展開することになります。それもそのはず、その瞬間にレクターのこの物語に於ける位置が確定し、件の対立の構図が其処に漸く明確さを帯びることになるからです。それ以後は、如何にも娯楽映画らしくその対立が物語的な結論を得るまで続くことになるのですが、肝要なのは、クラリスに「触れる」ことが出来てしまったレクターとクラリスの関係、例えば、事の発端となる「手紙」や「香水」の暗喩を指摘するまでもなく、そもそも男女の関係に於いて「触れること」が示唆するのは他でもない「恋愛」のそれ、此処に於いても勿論例外ではありません。それは前作に於いても示唆されていたこと、この映画では、レクターがクラリスに遂には「触れて」しまったことが、それこそ恋愛の物語では決して珍しくないことですが、彼らの関係に新たな展開をもたらすことに、物語の最後、彼らの間に前作の「握手」と似たような状況が訪れることになるのですが、その顛末こそがこの「恋愛の物語」に与えられた一つの結論と言えるのかも知れません。この映画は、手を触れ合うことの出来る人間と出来ない人間の対峙の物語であり、また同時に、手を触れ合ったもの同士の物語でもあります。

 それが監督の個性と言えなくもないのですが、とにかく「音(音楽)」の煩い映画、感情表現や物語状況の説明を「音」に依拠するのも一つの手法なのかも知れませんが、やはり些か過剰であるようにも思われます。また、「手」が「触れる」という映画的な「美しい」主題が前作から正しく受け継がれているとは言っても、しかし、リドリー・スコット監督にはジョナサン・デミ監督ほどの「繊細さ」はとても期待出来ないよう、『ハンニバル』がその表層に於いてすら「恋愛の物語」以外の何ものでもないことが、むしろこの監督の「無骨さ」を示しているとも言えます。

 先行オールナイト上映の2回目、午前0時過ぎからの回だったのですが、千人以上入る劇場の半分以上が埋まっていました。1回目の上映が始まる2時間くらい前に劇場の前を通り掛かったとき、劇場の外に既に長い行列が出来ていたのを目撃したのですが、その勢いは夜中になっても衰えなかったということ、劇場を後にするときに3回目の上映を待つ人達の列を確認したのですが、さすがに少なくはなっていたものの、それでも、百人以上は軽く並んでいました。来週末からの一般公開では間違いなく大ヒットを記録することになるのでしょう。


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