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花様年華
監督:王家衛
2001年4月15日(銀座テアトルシネマ)

 覗き穴、あるいは映画



 あくまでも「既に起こったこと」が其処に捉えられているに過ぎないという意味に於いて、あらゆる映画(近未来SF映画ですら)は「過去形」で語られていると指摘することができるのですが、しかし、それが何よりも「記録性」に優れたメディアによる(誰かしらの意図に)忠実な「再現」である故に、我々が日常的に「過去形」で語らざるを得ないもの、つまり、断片的で曖昧な映像の集積としての「記憶」とは甚だ乖離した、その意味に於いて、とても現実的とは言えないものであるとも指摘できます。あるいは、それこそが映画の映画たる所以、誰かしらの「過去」を共有する試みが「映画」なら、第一人称の言語として既に満たされているそれら断片の隙間は、第三人称の映像によって補完されなくてはならないのです。

 淡々とした「状況」の積み重ねが時計の針を進めるこの映画は、あるいは、我々の「記憶」にも似た映画なのかも知れません。従って、「過去の共有」即ち「物語の理解」に些か困難が生じてしまうのも道理、此処に於けるあらゆる「曖昧さ」は、我々の「記憶」のそれに同じなのです。確かに、此処に於ける如何にも映画的な客観性は、「記憶」本来の性質を大いに裏切ることにもなるのですが、しかし、これはそもそもが「映画」であり、あくまでも「記憶」が模倣されたに過ぎないもの、否、私は此処に如何にも乱暴な「開き直り」をみせているわけでは決してありません。

 過去は触れることができず、見ることしかできない。

 この映画の最後の方に概ねこのような内容の「文字」が現れます。あるいは単なる比喩表現に過ぎないのかも知れませんが、しかし、此処に於ける「見る」という表現には大抵の人が違和感を覚えるはず、過去を「見ることができる」など、どう考えても不可解な指摘なのです。過去あるいは「記憶」とは、あくまでも我々の意識の内部に立ち現れるものであり、決してその外部に表象として現れるものではありません。我々が「見る」という動作によってその意識に映すことができるのはあくまでも表象のみ、従って、本来表象ではないものを「見る」ためには、それを一旦表象に置き換えるという作業が必要に、他でもない「映画」が表象化された過去あるいは「記憶」の一種であることに思い至れば、その不可解な指摘にも容易に理解が及ぶはずです。

 我々は果たして何処から彼らの過去を「見て」いるのか、それは、やはりこの映画の最後で彼らの過去が「埋められた」場所に相違なく、男の背中と共に捉えられた美しくも映画的な「比喩」が、「記憶」であり且つ「映画」である、「物語」と呼ぶには余りにも隙間の多いこの映像の連鎖を見事に繋いでいるのです。

 此処に於いて、執拗なまでに「時計」が捉えられているのも、そのことと決して無関係ではありません。我々の「記憶」が曖昧な映像の断片に過ぎないのは、現在を過去へと押しやってしまう「時間」の不可逆性の故、それは反復あるいは再現を許さないのです。此処にもやはり、それと対峙する、他でもない「再現のメディア」である「映画」の立場が表明されており、この映画の中で三度演じられる「物語」がそれ、彼らは当然のようにその「物語」を反復します。彼らは曖昧な記憶の断片として再構築された「時間」の中に反復が可能な「物語」を持ち込むことによって、その不可逆性に抗う姿勢を示し、それがまた同時に、映画それ自体の至って楽観的な本質をも其処に示唆することになるのです。また、此処に於ける男女の擦れ違いは、その「時間」に対する姿勢の差異に起因しているとも言え、その不可逆性あるいは有限性を常に意識する男(彼が書いているのが「新聞の連載小説」であるというのが実に象徴的。また、その意味に於いて、この映画は主に男の意識の流れが再現されているとも言えます)と、如何にも映画的な「永遠」の中で逡巡を繰り返す女、それは、常に男の側から促される「物語」の反復が、決まって女によって断ち切られるということにも端的に顕れています。何れにせよ、此処に流れる不断の「時間」は、些か構図主義的な断片としての「場面」を悉く置き去りに、それは、その不断の流れを断絶するかのように現われる(正に映画的な)「スローモーション」のカットに於いてさえ、其処に決まって流れる優雅なワルツを支配するのは、秒針の刻みを連想させる「ピチカート」の規則正しい律動に他なりません。

 この映画は空間の「狭さ」が実に上手くフレームに収められています。似たような住宅事情を体験する日本映画は、これを大いに見習うべきでしょう。

 公開から既に何週か過ぎた日曜日の午後、半分くらいの入りでした。
 この映画館の近くで『2001年宇宙の旅』のリバイバル上映が行われているはず、と思っていたら、何のことはない、同じビルの内の別の劇場、「ル・テアトル銀座」というのは元の「セゾン劇場」のことでした。これは本当の「劇場」で、遂に映画館に鞍替えしたのかとも思ったのですが、映画の上映は差し当って今回のみのよう、ゴールデンウイークの頃までは上映されているようなので、是非とも駆け付けたいところです。


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