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トラフィック
監督: スティーブン・ソダーバーグ
2001年4月28日(新宿ピカデリー1)

 映画のバランス感覚



 映画とそれを観る人間の最も現実的な関係とは、スクリーンに投射された「虚構」をして「これは暗闇に明滅する光に過ぎない」と観客が認識することであって、その光が構築する何か(例えば物語)に「現実」との類似を発見して其処に身を委ねることなどでは決してありません。勿論、これは極端な話で、そんな「関係」が好ましいはずもないのですが、しかし、もし映画に何らか「現実性」を求めるのならば、先ずはスクリーンと観客席の間に横たわる絶対的な「距離」を測ってみるもの一興、期待しているような「現実」など何処にもないことに気が付くはずです。

 此処に在る不気味なまでの静けさは、あるいは観客の期待を大いに裏切るものなのかも知れません。この映画に感情移入の余地がないと言えば嘘になるのですが、しかし、此処に保たれた静けさはむしろそれを拒絶しているかのようにさえ思われます。決して「非現実」ではない「非日常」を観客の前に差し出すという意味に於いて、これは一般に「社会派」と評されるどの映画とも変わりはないのですが、しかし「非日常」は「非日常」のままに、(観客が)直接的に関わり得ないものには至って「現実的」な距離感が保たれているとでも言うべきか、遠くに在るものを双眼鏡か何か(ブラウン管ではなく)で覗き見ている、そんな静けさです。考えてみれば、例えば『フレンチ・コネクション』に目撃される麻薬捜査官と麻薬組織の「華やか」な格闘は、それが(社会的な)現実であれ、我々の日常にはおそよ関係のないもの、確かに、それを(恰も「日常」であるかのように)観客の眼前に差し出すのこそが映画であるとも言えるのですが、しかし、その距離感の歪みは観客にとって必ずしも「現実的」とは言えません。大抵の観客にとって「トラフィック」とそれを巡る暗闘など、捜査官の自動車を派手に吹き飛ばす爆発音が決して我々の耳に届かないように、およそ遠い世界の出来事であり、少なくとも、日常的にその存在を実感することなど能わないもの、ただ静かに其処に横たわり、我々が漸く目撃し得るものと言えば、その末端から吐き出される何ものかであるに過ぎないのです。つまり、この映画を支配する不気味な静けさは、観客と「トラフィック」の甚だ「現実的」な関係を示唆しているとも言えるのです。

 差し当たって三つに切り取られた「トラフィック」の断片を観客は何処から目撃しているのか、地図に記された赤線を俯瞰しているのでないことだけは確かです。観客の日常に関わる「現実」との距離を測れば、マイケル・ダグラスを中心に語られるエピソードが最も近く、デル・トロのそれが最も遠いということに、それは物理的な距離あるいは「トラフィック」の流れにも呼応します。この映画を支配する静寂が観客の「現実」を示唆したものだとするならば、視点の所在もやはり其処、即ち「青」のエピソード、「トラフィック」の末端から吐き出される「現実」に置かれているはずです。

 では、それら三つのエピソードとの間に存在する「距離」の差違を観客が何らか実感する、その距離の差違がそれぞれの「現実感」に比例しているのかと言えば、しかし、決してそうではありません。それら三つは観客の視点に於いてあくまでも均等な「距離感」が保たれています。この監督の「技術」は誰しもが認めるところで、この映画に関してもその多彩な「映像言語」が何よりも注目されているのですが、此処に試された「遠いものを近く、近いものを遠く」という、三つのエピソードの「距離感」の均衡を保つ技術こそが何よりも優れているのではないかと、個人的にはそう思っています。既にこの映画を観ている人達、現時点で言えば、それはどちらかと言えば積極的に映画と対峙する人達に同義だと思うのですが、彼らのそれら三つのエピソードに対する評価を眺むるに、見事なまでに此処で言う「距離」に反比例している、つまり、デル・トロのエピソードの評価が最も高く、マイケル・ダグラスのそれが最も低いのですが、否、あるいはそれは、私が参考にしたそれら見識のすべてがそもそも「トラフィック」の末端にすら程遠い日本人によるものであることにも大いに関係があって、その評価の差違はおよそ映画的に捏造された「現実感」の差違に等しいようにも思われるのです。近いものを遠く、遠いものを近く、「日常」はより物語的に(そもそもマイケル・ダグラスの配役からして)、「非日常」はより現実的に、それは「トラフィック」を迂闊にも俯瞰してしまう観客にマイケル・ダグラスのそれが「些か出来過ぎのホームドラマ」と揶揄されてしまう所以でもあります。何れにせよ、観客の「現実」に近い視点から目撃された一本の長い直線とその三つの断片は、それでありながら、しかし、まるで俯瞰されているかのように均等な距離感を、その「バランス」を巧みに操るのこそが映画的に優れた「技術」に他なりません。

 尤も、私とて「トラフィック」の末端と日常的に何らか関わっているわけでもありませんから、此処で言う、その視点から測られる「距離感の絶妙なバランス」を実感できたりはしないのですが、ただ、些かの想像力を働かせてその視点をほんの少しずらしてみることくらいは可能、マイケル・ダグラスのエピソードが余りにも現実的過ぎたら、デル・トロのそれは、それこそ遠い世界の「物語」に堕してしまうのです。

 公開初日、土曜日の午後、オスカーの看板も手伝って相当の混雑を予想していたのですが、案に相違して新宿で一番の大劇場はガラガラ、漸く三分の一が埋まっていた程度でした。混雑を予想して上映開始の一時間以上も前に購入しておいた指定席も、我々(私と同行者)の他に漸く一組、世の中の動向というものが今一つ把握し切れませんね。


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