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監督:奥原浩志
2001年8月4日(THEATER/TOPS)

 陰気なロメール



 新宿紀伊國屋書店の裏手に軒を構えるチケットセンターの店頭に常時貼り出されている都内各所の映画館のタイムテーブルを眺めながら、「なるほど、これが『夏休み』というヤツなのか」と、ロボットが4館、猿と恐竜とアニメとブラッカイマーがそれぞれ3館ずつ、この5本の映画のために16もの劇場がスクリーンを貸し与えているという、これはあくまでも新宿地区内での話です。今さら渋谷や銀座へ移動するのも億劫だし、ロボットと猿は観たし、恐竜は前作を観ていないし、アニメは端から観る気がないし、ブラッカイマーは…、と、不当に圧縮された選択肢に頭を悩ませていたところ、フト目を遣った左手のビルに映画の看板らしきが、「シアタートップス」でした。普段は演劇や講演のメインの小さな劇場で、不定期に映画の上映が、もう10年くらい前の話になりますが、矢崎仁司の『三月のライオン』を観たのも其処でした。その『三月のライオン』が私にとって最悪の体験だったこともあって(「こんな自己満足な映画しか撮れないからいつまで経っても日本映画はダメなんだ!」と、当時そんなことを思いました)、その劇場には余り良い印象を持っていないのですが、手近な範囲で他に観たい映画もありませんでしたし、日本人の若手監督の作品を観てアレコレ文句を付けるというのはそれなりに意義のある作業だと思っているので(少なくともオリヴェイラの映画を絶賛するよりは)、何を迷うでもなくスルスルと劇場へ、背凭れの浅い、姿勢の悪い私にはおよそ座り心地の悪いパイプ椅子に身を沈めたわけです。

 映画であれ小説であれ、其処に「永遠」が表象されているのでもない限り、其処に流れている時間はあくまでも有限であり、従って、仮にその物語が第1頁目の予感に始まって最終頁の句点を以て見事に閉じているにしても、それはしかし、あくまもで何らかの「断片」が示されているに過ぎません。例えば、誰かの人生に関する物語であれば、2時間なり200頁に切り取られた時間の前後にもその人間は存在し、やはり同じように時間は流れていると、否、当たり前の話です。誰の表現だったかは忘れてしまいましたが、ゴダールとトリュフォーを比較して、前者の映画に登場する人物群は正にその「断片」の中にしか生きていないのに対して、後者の人物群はそれ以外の、物語の外に在る時間をも予感させると、その表現が適当なのかどうか、あるいは事の善し悪しはともかくとして、あくまでもその「断片」を垣間見せるに過ぎない彼らの物語での在り方は様々、500枚の原稿用紙に70年の人生を予感させる者がいれば、ただ2時間の生をしか持たない虚構としてスクリーンを浮遊する者もいるということです。

 此処に於ける、晩夏の西伊豆に集まった4人の若者は、確かに、ただこの限られた時間と空間の中をひたすらに彷徨っているだけの存在ではないにしても、しかし、物語の外に在るはずの何かが十分に説明されているというわけでもなくて、差し当たって、彼らがこの限られた時間と空間の中に在る理由、それぞれの「不在」がこの「断片」に意味をもたらしているという事実が観客に共有されてはいるものの、それ以外のことが積極的に語られることはありません。視点の所在はあくまでも「晩夏の西伊豆」に、その視界へ、何かが待ち受ける其処へ一人また一人と紛れ込んでくるのです。つまり、それぞれに体験される「不在」は物語参加を果たすための「言訳」のようなものということです。ただ、しかし、此処に於いて唯一人、4人の中で一番最後に場面参加する「タツ」だけは、その「言訳」自体が一個の、スクリーンに切り取られる「物語」としての機能を果たし、西伊豆を舞台とした物語に一つの予感を与えることになります。此処に於いては唯一彼の物語だけが一本の「線」として差し出され、彼の訪れを待つ間にも弛緩した、あるいは「円」にも喩えられる西伊豆の物語を貫くことになるのです。つまり、彼の存在は彼が連れてくる予感と共に物語の緊張を高めることになるのですが、しかし、西伊豆の物語に遅れて現れた彼の存在はそれと同時に、物語の表層に於いてはそれまでの不安定な三角関係の構図にある種の調和と安定を与えることにも、彼によって果たされるそれら相反する二つの機能がこの物語を十全に機能させ、また、魅力的にしているのです。此処に調和と安定が実現されるのは、彼の存在が決して「異質」ではない故、それでも彼の存在が「不安」を予感させるのは、物語的な「タイムラグ」と其処に映画的に差し込まれた「背景」の所為、「断片」から少し喰み出してしまったそれが、一個の「波」を連れてくるのです。

 海と若者、不在の物語、エリック・ロメールを陰気にした感じでしょうか。海辺の町を舞台として、表題が『波』であるにも関わらず、肝心の「海」が余りスクリーンに捉えられていなかったのが幾分不満ですが(例えば、ロメールの『夏物語』など、殆どの場面に海が捉えられていたような印象があります)、しかし、これは良い映画ではないでしょうか。同じ劇場で観たという理由だけで引き合いに出せば、『三月のライオン』などより断然に。

 それほど長くない上映期間のうちの一日、土曜日の午後、50くらい並んでいたパイプ椅子は40ほど余っていました。これ以降の上映予定や地方行脚の予定があるのかないのか、まるで知らないのですが、何かの機会に恵まれた方は是非。


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