Index

 
8人の女たち
監督:フランソワ・オゾン
2002年11月23日(シネマライズ1)

 9番目の視線



 この映画のような室内劇に於いては「人間以外に動くものがない」というのがやはり難点、それ故に感じてしまう退屈さもあるのではないかと思います。この映画がしかし、差し当たりその問題を解決してしまっているのは、窓の外に終始雪を降らせているから、大した話でもないように思われるかも知れませんが、そんな些細なことでも在るのと無いのとでは随分と印象が変わってくるはずです。そして、この映画の中にはもう一つ、人間以外で動くものがあって、それは煙草の煙、何処だったかは残念ながらよく憶えていないのですが、ファニー・アルダンが吐き出したやはり白いそれが見事な「運動」を見せるカットがあって非常に印象に残っています。

 この映画は物語の途中から少し印象が変わるところがあって、それはファニー・アルダンが「8番目の女」としてスクリーンに現われるのをその契機としているようにも思われます。それまでは7人を同時にスクリーンに収めようとする意図が明らかなミドルロングが多用されるのですが、「8人の女たち」が揃って以後は8人を同時に捉えようとする意図的なショットは最後の最後、この映画のラストショットまで一度も現われなくなってしまうのです(正確には途中で何度か8人が「揃ってしまう」ショットがあるのですが、前半にあったような構図優先の意図的なそれとは違います。あるいは、その8人が「揃ってしまう」場面にしても、読み方によってはそれを「必然」とすることもできてしまうのですが、この際、余り深読みすることは止めておきましょう)。では、カメラは何故8人を同時に捉えようとしないのか、思うにそれはカメラが「9番目の視線」となることを回避するためではないかと、この映画を既に観た人ならば此処に於ける「9番目の視線」が物語的に持ち得る意味を理解できるはず、最後の最後で漸く8人を同時に捉えたショットが現われるのも、その「物語」と決して無関係ではありません。

 カメラが「9番目の視線」であること避けているのを含めて、此処に於ける「視線」のあり方は観客からある種の客観性を奪い、異化的な効果をむしろ薄めているようにも思われます。例えば「ミュージカル」の場面、突然歌い踊り出す人がいる一方でそれを(違和感なく)視ている人が必ずいるという構図は視線の往来をスクリーンの中に閉じ込め、それを「あり得ること」として観客に差し出すことになります。もしその視線の往来がぎごちないものであったり、其処に視線の往来がなく観客の視線に直に晒されてしまう(『焼け石に水』のそれのように)ような状態であったならば、観客は其処に何らかの意味を探るべく目を凝らすに違いないのですが、此処ではそのようなことはありません。要は普通に「ミュージカル」が成立しているということなのですが、それ以外の様々に異様な事態に際してさえ、やはり同様のカラクリによって、観客はある種の寛容さを以てそれらと対することになるのです。

 さて、問題は最後のショット、カメラが堂々「9番目の視線」であることを任ずるそれです。物語的にもはや「9番目の視線」があり得ない故にカメラがその立場を引き継いだとも言えるのですが、其処に於いてはカメラの視線が観客の視線に漸く一致する、もはや誰の視線を借りるでもなく、観客は其処に「8人の女たち」の姿を真っ直ぐに捉えることになるわけです。この監督の長編デビュー作である『ホームドラマ』にも似たような構図が見られるのですが、此処に於いては正常が異常に屈してしまう、常識人の悲劇とでも言うべき皮肉が展開するわけで、あるいは、あくまで相対的に捉えられた「正常/異常」を当たり前のように転倒させてしまう遊戯的試みが為されているとも、スクリーンに閉じ込められた視線(の往来)は観客にその転倒をも受け容れさせてしまうのです。しかし、そうやって「目眩し」をされ続けてきた観客が最後の最後に引き受けることになる「9番目の視線」の正体とはまさしく常識の側のそれであり、その逆転がもたらす強烈な「異化効果」によってむしろ観客の常識が問われることにも、観客は文字通り「我に返る」わけです。

 窓が好きな映画作家と言えば、やはりトリュフォーということになるのでしょうが、フランソワ・オゾンも相当な「窓好き」のよう、『焼け石に水』の「サンバダンス」の配置も窓枠を巧みに利用していましたが、この映画にもやはり同様の場面が、(視覚的に)ともすれば単調になりがちな室内劇に窓越しのショットを割り込ませてそれとなく変化を与えてみたり、否、「フレーム内フレーム」は閉じた空間を捉える場合の基本でしたか。ちなみにトリュフォーは「窓好き」に加えて無類の「階段好き」でもあったのですが、フランソワ・オゾンはそれほどでもなさそう、この映画も確かに舞台の一番目立つところに階段があるのですが、しかし、余り有効には機能していなかったようにも思われます。

 公開初日の土曜日の午後、時間を間違えてしまった所為で映画館に到着したのが上映開始の漸く二分前、二階席に案内されたものの、残っていたのは背凭れのない「補助席」のみ、一階席の状況は確認していませんが、多分満席だったのでしょう。客席には若い女性が圧倒的に多かったようにも思われるのですが、このヘンはやはり監督の性的嗜好とも関係があるのかも知れませんね。


Index