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スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする
監督:デイヴィッド・クローネンバーグ
2003年3月29日(新宿オスカー)

 第一人称の規則



 ブツブツと独り言ちながら諒解不能なメモを熱心に書き込むレイフ・ファインズ、その姿は確かに異様なのですが、しかし、何よりもの異様さは、彼が背の低い洋箪笥を机替わりに立ったままそれを書いているということ、彼は、普通の人間が書き物をする場合大抵そうするように、椅子に座ってそれを書くことなど決してしないのです。この映画の中にはそう言った類の「異様さ」が他にも、例えば、ガブリエル・バーンと「イヴォンヌ」の幾つかの性行為にしても、彼らは決してベッドでそれを行うのではなく、寒空の運河沿いで立ったまま、あるいは野菜畑脇の小屋のソファーに座ったまま、パジャマしか入っていないスーツケースを大事そうに抱えていたはずのレイフ・ファインズが、しかし、実際にはシャツを何枚も重ね着した外出着のまま眠るのもやはりそう、クローネンバーグ映画がスクリーンに醸し出す異様さの正体は、そんな何気ない「非日常性」の中にもまた隠されているのかも知れません。

 J=P・サルトルは確か「物語小説は第一人称で書かれるべきだ」といった類の提言をしていたはずです。第一人称即ち「私」を唯一の語り手とし、其処に於けるあらゆる描写はその「私」の認識の範囲を決して逸脱しない、「私」が居合わせない場所の描写などあり得ず、対峙する他者の心理にしても、あくまでも「私」による推測として、言わば非常に狭量な第一人称表現をのみ認めるということです。こういった発想の背景としては、これは彼の実存主義哲学にも通底することなのですが、世界は唯一「私」によってのみ認識され、客観的に認識された(絶対的な)世界などあり得ない、もし仮にあったとしても何の意味もなさないという思想があって、そのサルトルの影響を受けているらしいクローネンバーグも、やはり同様の発言をしているようです。小説とは違い、基本的に第三人称のメディアである映画は、一部の作品を例外として、やはり第三人称によって語られることが殆どで、それは斯く言うクローネンバーグの映画にしても例外ではなく、第一人称で書かれた原作小説を映画化したこの『スパイダー』もやはりそう、カメラがレイフ・ファインズ(あるいはスパイダー少年)の姿を一度でも捉えれば、それは第三人称表現を受け容れたことになってしまうのです。尤も、其処までの厳密さには拘らず、映画というメディアの特性を考慮した上で言えば、差し当たり「物語る主体」による認識の範囲を逸脱しない限り、それは限りなく第一人称表現に近いとも、観客が目撃するものが果たして現実なのか虚構なのか、この映画に於いてそれは非常に重要な意味を持つのですが、しかし、その第一人称表現の「規則」を前提としてこの映画を観れば、実は、此処には何一つの謎もなくて、すべてを容易に知ることができてしまうのです。

 此処にあるのは、ある日突然母親が淫売に見えてしまった(精神を病んだ)少年がその母親を殺してしまう物語、その現実と虚構を見極めるに於いて肝要なのは、第一人称の主体をあくまでもスパイダー少年に置くこと、そうすると、其処に早々にも「嘘」が出現することが分かります。ガブリエル・バーンと母親が揃ってパブに出掛ける場面、パブに於ける二人の遣り取りは、自宅で留守番をしているばずのスパイダー少年(それを回顧しているかのようなレイフ・ファインズ)に分かるはずもなく、明らかにその認識の範囲を逸脱、つまり「嘘」ということになります。この映画がその「第一人称の認識の範囲」に非常に拘っているということがよく分かるのは、その少し前のあるスパイダー少年が母親に頼まれてパブにガブリエル・バーンを呼びに行く場面、スパイダー少年は其処で「イヴィンヌ」を目撃することになるのですが、しかし、イヴォンヌという存在はあくまでもスパイダー少年(あるいはレイフ・ファインズ)の妄想(淫売の表象化)に過ぎないわけですから、第一人称表現の規則に準ずる限り、彼が実際にそれを目撃することなどあり得ないわけで、つまり、スパイダー少年がパブで直接目撃したそれはイヴォンヌではなく(そのイメージの元になったのかも知れない)別の女性、実際、その女性を演じているのはミランダ・リチャードソンではないのです。この映画はその類のディテールが実に巧妙で、逆に言えば、それらディテールを正しく把握してさえいれば何一つ惑わされることがないとも、それはクローネンバーグの映画全般にも言えることで、何度観てもよく分からないデイヴィッド・リンチのそれとは決定的に違っている点であるとも言えます。ともあれ、そういうふうに観ていけば、レイフ・ファインズによって回想されているかのような物語前半は、その殆どすべてが「嘘」であると容易に知れるわけで、ガブリエル・バーンが母親を殺す場面など以ての外、スパイダー少年がそれを直接目撃しているなどあり得ないわけですから。また、そもそもレイフ・ファインズがそれをノートに書き記していること、あるいは、彼がスパイダー少年の「台詞」を先読みする場面が何度かあることからも、それが彼の「創作」であることを容易に想像することが可能となります。

 さて、物語が後半に突入すると、今度はすべてが「現実」となります。前半と後半を分けるのは、言うまでもなく、唐突に挿入される精神病院のシークエンス、レイフ・ファインズが医師にガラスの破片を差し出し、「パズル」が完成してしまうそれです。その前にも彼が「かもめ」のジグソーパズルを試みる場面があるのですが、其処ではまだパズルは完成せず、完成を目前に彼はそれを壊してしまいます。「完成させたくない」のではなくて、実際に「完成しない」、言うなれば、そのジグソーパズルは欠陥品の類で、其処に残された幾つかのピースは彼が言うように本当に合わないのです。此処で言う「パズルの完成」とは即ち「虚構の完成」に同義、物語の前半、彼は母親が突然イヴォンヌ(淫売)に変身してしまった「理由付け」をしていた、つまり、架空の物語を創作することによって辻褄合わせをしていたわけで、しかし、スパイダー少年の目に母親が(彼が自覚し得る限り「何の理由もなく」)唐突に淫売に変身してしまったというのが現実で、それに正しい理由があるとすれば、彼はそのとき既に抑圧的な女性がすべて「イヴォンヌ」に見えてしまうという精神に異常を来した状態であったからということになります。何れにせよ、物語前半のそれとは違って、スパイダー少年の家に入り込んできたイヴォンヌは彼にとって紛れもない「現実の存在」として其処にあることに、つまり、スパイダー少年の目には母親の姿が実際にそう見えていたということで、それは、スパイダー少年をその主体とした第一人称表現の規則が忠実に守られているということでもあります。そして、それはレイフ・ファインズをその主体に置き換えてみてもやはり同様で、リン・レッドグレーヴが唐突にイヴォンヌに変身してしまったのも、彼女がそのときの彼にとって他でもない「抑圧的な女性」であった故、つまり、パズルの完成を契機に少年時代の「病気」が再び現れたということで(例えば、鍵束を巡ってレイフ・ファインズの身体を探るイヴォンヌの動作はそのままガブリエル・バーンを手淫するイヴォンヌの動作に呼応します)、其処に目撃されるのもやはり第一人称の認識の範囲を決して逸脱しない現実、結論は違えど、物語後半に於けるスパイダー少年とレイフ・ファインズが全く同じ行動に至るのも、それ故のことです。複数の糸が複雑に張り巡らされた室内を捉えた俯瞰ショット、空間を見事に切り分け、しかし、何一つの欠落もないそれは「完成されたパズル」の暗喩、あるいは「壊れ易い現実」の暗喩でもまたあるのかも知れません。

 尤も、「客観的に認識された世界などあり得ない」という発想に従えば、此処に些か得意げに展開された「解釈」など然して重要でもなくて、それが現実であれ虚構であれ、レイフ・ファインズの認識によって構築された総体が即ち「世界=現実」のすべてであるとも、それを客観的に認識できてしまい、正否の判断すら要求される映画、あるいは観客の立場の方がそもそも「異常」とも言えるのかも知れません。人間の記憶など所詮は曖昧なもの、昨日街角で擦れ違った女性の顔など、映画で観るようには決して憶えていないわけで、記憶が(無意識のうちにも)自身の都合の良いように改竄されてしまうことなど別に珍しくもないはず、観客にとっての「現実」とは、スクリーンに目撃されたものすべてであり、それらを疑いなく受け容れることこそが「現実」と真摯に向き合うために要求されること、その正否を判断するなど、あるいは世界からの逸脱を試みるにも等しい行為なのかも知れません。

 公開初日の土曜日の午後、春の陽気とは程遠く、客席は寒々としていました。これを記しているのはそれから丁度1週間後の土曜日なのですが、私がこれを観た歌舞伎町の「新宿オスカー」という映画館では、本日現在、実は既に別の映画が上映されていたりもします。つまり、僅か1週間で「打ち切り」になってしまったということ、尤も、「新宿オスカー」以外の劇場ではまだ上映が続いているようですが、しかし、何れも2週間での「打ち切り」が既に決まっているよう、おそるべき不人気ぶりです。本文中でも名前を出しましたが、デイヴィッド・リンチの映画などと比べると、クローネンバーグの映画というのは、スクリーンに目撃され得るものを精確に組み合わせさえすれば、実は何一つの破綻もないということがまさにそう、実に誠実(フェア)な印象を受けるのですが、しかし、むしろそれが仇となっての不人気ではないかとも想像されるわけで、要は真面目過ぎて面白みに欠けるということ、否、私自身は決してそんなふうには思っていませんが。


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