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スイミング・プール
監督:フランソワ・オゾン
2004年5月16日(シャンテシネ1)

 現実の裂け目として



 これは非常にユニークな場面ではないでしょうか。別荘に到着して自分の部屋を決めたシャーロット・ランプリングが旅行鞄からノートパソコンを取り出してその部屋の机に設置するのですが、電源コンセントの差込口を探したり、その同じ鞄から電源コードを含めたケーブルの束を取り出したりと、パソコンを設置するまでの一連の「儀式」がこの映画では随分と丁寧に、矢鱈と時間を掛けて描写されているのです。これが手動式のタイプライターなら事は簡単、専用の鞄から本体を取り出して机の上に置くだけ、と言うより、幾ら作家が主人公だからと言って、そんな作業をいちいち描写する必要性など皆無、それを省略した上で彼女がパソコンに向かう場面を映したところで、何かの疑問を感じてしまう人などおそらくはいないはずです。勿論、「映画」では余り見慣れないその場面が何の必要から持ち込まれているのかなど想像の限りではないのですが、もし仮にこれもまた「伏線」の一部であるとするならば、作家である彼女にとってパソコンという道具の持つ意味と、彼女がその一連の「儀式」の中で壁に掛けられてあった「十字架」を外すことも併せて、あるいは彼女がこれから或る「不誠実」な行為に及ぶという、言わば「宣言」のようなものなのかも知れません。

 パソコンでもう一つ、これもやはり興味深く感じた場面なのですが、シャーロット・ランプリングが別荘に到着した翌朝、パソコンの脇に設置されたキャノン社製の小型プリンタでそれまでに書き上げた原稿をプリントアウトする場面があるのですが、其処では何枚もの紙に次々と原稿を印字していくプリンタの様子が捉えれているという(用紙受けにはもはや一枚の紙も残っていません)、それはつまり、その別荘に環境を変えて如何に気分良く仕事ができて、如何に仕事が捗ったかということを明示する映画的な表現の一種なのだと思うのですが、しかし、考えようによっては、それは旧来の作家の道具であった「タイプライター」と比較したパソコンの弱点を露呈する描写であるとも、特に手動のタイプライターの場合、タイプするのと同時に印字されることに加えて、それに関わるあらゆる動作が「動的」で、しかも、パチパチと囂しいあの音が如何にも「映画的」、タイプライターなら、作家がそれと一心不乱に向き合っている場面を其処に切り取るだけで「如何に仕事が捗っているか」のような表現は既に足りてしまうはずなのです。後に彼女がその印字された原稿で推敲作業をする場面が出てくるとは言え、しかし、そもそも書き掛けでいちいちプリントアウトなどしないもの、それは或る意味「状況説明のための嘘」とも言える表現なのであって、パソコンという道具が持つ(映画的に)乏しい「表現力」では、そんな嘘でもつかなくては何事も表現し得ないということ、それは「映画」に於ける黒電話と携帯電話の違いのようなもの、「映画的現実」はまだまだタイプライターに利しているということなのでしょう。『映画史』のゴダールにしても、向き合っているのがタイプライターだからこそなのであって、あれがもしノートパソコンだったら、多分、また印象が違ってくるのではないでしょうか。ちなみに、此処で指摘したその「プリントアウトの場面」は、後に明らかになるこの映画の「謎」を踏まえてみると、物語的に少し矛盾していると指摘することもできます。尤も、この映画は配給会社の巧みな宣伝が想像させてしまうような「本格推理サスペンス」では間違ってもありませんから、そのような矛盾は其処彼処に、今さら気にしても仕方のないことだと思います。

 さて、この映画、観客が此処に目撃する殆どすべてのことが、シャーロット・ランプリングがベランダから見下ろす「スイミング・プール」の水面(鏡面)に映し出された「屈折した像」であるのは今さら指摘するまでもないこと、(細かな矛盾にはやはり拘らないとして)そのプールに掛けられた「黒い幕」が取り払われた瞬間から「物語」が始まるというのなどまさにそう、あるいは、それまでは室内でパソコンに向かっていた彼女が、それ以降、そのプールを見下ろせるベランダに作業場所を移しているのなどもやはり示唆的な動作と言えるでしょう。「伏線」もしくは「ヒント」と言うことなら、例えば、シャーロットが別荘に到着した直後、別荘内を歩き回る彼女の視座を借りて(彼女自身の視座であることが重要です)其処にある幾つかの何気ないもの(子供用と思しき小さなマットレスと其処に並べ置かれたクマのぬいぐるみ等々)がスクリーンに次々に切り取られていくのですが、それ以外の場面(のショットの連鎖)と比較して明らかに違和感を覚えてしまうそれらショット群も、あとになってみれば「なるほど」と改めて思い当たることになるわけで、さすがにその「引っ掛かり」までもが予め企図されたものなのかどうかは分かりませんが、「謎解き」としては十分に「フェア」なものであろうと、唯一対話が成立した編集者との電話の内容にしても然り、あるいは、それ以降一度も電話が繋がらず、その編集者とまるで対話が成立しなかったことも、やはり重要な意味を持つわけです。

 此処に於いて「スイミング・プール」の水面が眩しく反射させるその「屈折した像」の正体はそんなに難しいものではありません。例えば、ティム・バートンのそれなどと比べると、此処にあるそれは「虚像」としては極めて通俗なもの、水面を覗き込む者のうちに隠された密かな欲望、大凡そんなところではないでしょうか。そもそも此処にあるのは嘗ての愛人から冷たくされた或る女性の「復讐譚」に他ならず(ライバルが「若い男性」であるというあたりが如何にも「オゾン的」ですが)、虚構に於いては「殺人」という手段によって果たし得たその復讐を、その虚構を介した一つの成果として、現実の場面ではまた別のカタチで実現してみせるという、あるいは、これは「虚構の創造」を一つの手段とした「自己実現」の物語であるとも言えるのかも知れません。一見してシャーロット・ランプリングと相反する「像」として出現するリュディヴィーヌ・サニエにしても、その真の正体が何であるのかは、例えば、物語の終盤、二人の「別れの場面」を見れば容易に想像がつくこと、其処では少し離れて立つ二人の姿を、シャーロットの方をリュディヴィーヌ・サニエの背後の壁に掛けられた「鏡」に閉じ込めることによって一つのフレームに収めているという、そのショットの意味するところなど言わずもがなでしょう。尚、これは余談ですが、その「別れの場面」に続く、リュディヴィーヌ・サニエがオープンカーを走らせながら何事かを述懐する場面は実に良いですね。『キル・ビル2』の冒頭にあったユマ・サーマンのそれを引き合いに出すまでもなく、スクリーンに光り輝く「眩しい」場面の一つと言えるでしょう。

 その「虚構内虚構」のありように(観客が)スクリーンに投射された「虚構」の正体を何となく知ることになるのは『ビッグ・フィッシュ』もこれも同じ、フランソワ・オゾンという映画作家が光と音を巧みに操り其処に何を映しているのか、勿論、事はそう単純でないにせよ、それとなく見えてくるようにも思われます。そのような意味に於いて、この映画に於いて何よりも興味深いのは最後の「種明し」の仕方、フランソワ・オゾンはただ単に「別人」をに連れてくるのではなくて、其処に、あるいは世俗的価値観に因ったとも指摘できる明らかな「差異」を、それこそ容赦なく持ち込むことによって現実と虚構に一本の明瞭な線を引いて見せるのです。虚構が現実より「美しい」のなど今さら驚くべき事態でもないのですが、その一見して世俗的な価値の相違が、此処に於いてはしかし、圧倒的な「距離」をもまた予感させ得るわけで、それはティム・バートンの荒唐無稽なファンタジー(虚構)が現実をより真摯に眼差すことによって見出されるのとは対照的、フランソワ・オゾンは南仏の心地よい風と眩しい陽光が戯れに揺らしてみせる水面がほんの少しだけ其処に映った像を屈折させてしまうように、現実を「現実的」に(しかし、あからさまな作為を以て)ほんの少しだけ歪めてみせることで、其処に「異次元」と呼んでも差し支えないくらいに隔絶した一個の空間を作り上げてしまうのです。巨人や狼男などいなくても、男を惹きつけて止まないファムファタル的な美女なら何処かにいそうだと信じずにはいられないのが現実のこの世の中というもの、現実に目を凝らして「いないはず」の巨人を連れてきてしまうのがティム・バートンなら、フランソワ・オゾンは、その何処かにいるのかも知れない幻の女を現実の僅かな「裂け目」としてスクリーンに出現させ、その僅かに開いた裂け目から(何食わぬ顔で)観る者を奈落へと突き落としてしまう、『ホームドラマ』や『クリミナル・ラヴァーズ』、あるいは『海を見る』に体験された「暗闇」の正体は、案外そんなところにあるのではないか、と。

 公開二日目の日曜日の午後、客席は殆ど埋まっていました。配給会社の「確信犯的」な宣伝が見事に功を奏したのか、終映後にはこの映画の物語内容とは無関係に首を傾げている人が多数、『8人の女たち』のときも思いましたが、これは多分「不幸」なこと、最近のフランソワ・オゾンというのは少しおかしな「売られ方」をしていますね。あと、映画の内容とはまるで関係がないのですが、この映画を観ている最中に、上着のポケットに入れておいた携帯電話を落としてしまって少し困ったことに、幸いにも、翌日にはその映画館のフロアで発見されて事無きを得たのですが、映画を観ている最中は電源を切ってしまいますから、そのような状態のまま携帯電話をなくしてしまうとひどく対処に困ってしまうということを今さらながらに学習した次第です。


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